
あらすじ
一八七センチの大男が目尻を赤くして抱きつき、お腹が痛いと揉んでくれと言う。体が入れ替わり、彼は私の痛みを、私は彼の声を持った。結婚式はカレンダーに残ったまま。取り消したい本人が、どちらの体で言っているのか分からなくなる。
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第1話
縁談、解消するつもりだった。
先に壊れたのは、宿敵のほうだった。
一八七センチの大男が、目尻を赤くして抱きついてくる。
「千早、腹が痛い。」
「もう一回、揉んでくれ。」
蹴り飛ばすところだった。
思い出した。数日前、体が入れ替わったとき。
あいつのほうが、私の生理痛を一度、身代わりで味わっている。
朝、起こされたのは自分の声だった。
違う。
自分のではない声に、叩き起こされた。
喉の奥から低い唸りが漏れる。重機のエンジンみたいに胸腔が鳴って、鼓膜が痺れる。
一八七、男の低音。
上体を起こし、布団をめくって見下ろす。
男物のシルクパジャマ。
胸——平坦。
腹筋——割れて六つ。腰の線に沿って沈み、人魚線がきつく張っている。
裸足で洗面所へ駆け込み、鏡を見上げた。
それから三十秒、その場で動けなかった。
鏡の中の骨は冷たく、眉も目も鋭い。
葛城朔。
二十年いがみ合ってきた宿敵。葛城グループの、あの氷の御曹司。
私が、あいつになっている。
この怪談を飲み込む暇もなく、隣室から押し殺した、聞き覚えのある吐息がした。
私の声だ。
理性が燃えて落ちる。長脚で隣の扉を蹴り開けた。
葛城朔は、私の顔をかぶったまま、パジャマを着ていない。
どこから出したのか、だぶだぶの白シャツを羽織り、襟が肩より下まで滑って、白い肌と片側の鎖骨が出ている。
魂は男だ。そのくせ両脚を開いて、カーペットに座っている。見苦しい。
黒い長髪が胸の前で乱れ、呼吸のたびに揺れる。
清楚で、腹立たしいほど色っぽい。
私の携帯を睨んだまま、顔が暗い。
息を吸って、口を開く——出てきたのは、あいつの低い男声だった。
「葛城、何してる。」
ゆっくり顔を上げる。
冷艶な私の顔で、長いまつげが一度揺れて、妙に無防備だ。
「起きた? ちょうどいい。お前の指紋ロック、七、八回やってやっと開いた。」
視線は画面のまま。「決済のパスコードは。」
奪いに飛びかかる。
この男の体が「自分」に近づいた瞬間、喉が勝手に締まる——あいつの体からする茉莉の匂いが、私(葛城の体)の下腹を熱くした。
画面を見る。
あいつの魂が、私のアカウントで、令嬢サークルのグループに一本投下していた。
【通知:既婚。心は閉じた。これ以上、男モデルを連れ回したりクラブに引きずり込んだやつはブロックする。あと逢沢、昨日のストーリーズ、ギラギラしすぎ。ミュートした。】
グループがクエスチョンマークで埋まる。
沈黙。
二十年かけて立てた、冷艶令嬢の看板。
消えた。
「葛城朔。」
歯を食いしばる。血圧が上がっていくのがわかる。
「私のアカウントでそれ、頭おかしい?」
「お前の交友関係、掃除した。」
ソファを掴んで立ち上がる。一六五の私の体で私を仰ぎ、目が全部挑発だ。
立ち上がった拍子に、だぶだぶのシャツがまた一段滑る。
私(葛城の体)の下腹が、強く締まった。
くそ。
この体の反応は、私と関係ない。
「それと。」あいつの指がクローゼットを示す。「お前の服、問題ある。」
振り返る。
完全に割れた。
背中開きも超ミニスカートも、この支配欲の塊が隠しボタンで、裾から鎖骨まで死ぬほど留めてある。
全部、修道服だ。
そのうえ私の目の前で、いちばん好きだったスーパーモデルのランウェイグループを、迷いなく退会した。
私はあいつのほうを見据える。
あいつは私の顔で、不器用で横暴な表情をつくり、私の、極端に柔らかい声で——甘えて聞こえる声で——氷のように言った。
「花菱千早、お前は令嬢だ。ヴィクトリアズ・シークレットを歩くモデルじゃない。」
反抗神経が、ぷつんと切れた。
いい。
葛城朔、恥を捨てるなら、一緒に壊れろ。
目次
12 話
第1話
縁談、解消するつもりだった。 先に壊れたのは、宿敵のほうだった。 一八七センチの大男が、目尻を赤くして抱きついてくる。 「千早、腹が痛い。」 「もう一回、揉んでくれ。」 蹴り飛ばすところだった。 思い出した。数日前、体が入れ替わったとき。 あいつのほうが、私の生理痛を一度、身代わりで味わっている。 朝、起こされたのは自分の声だった。 違う。 自分のではない声に、叩き起こされた。
続きを読む第2話
状況を言う。 私と葛城朔は、どちらも財閥の跡取りだ。両家の親は強者同士を繋ぎたくて、ずっと私たちをくっつけようとしてきた。 会えば喧嘩。二十年、一日も欠かさない。 縁談の年になって、親が腹を括り、一年の「同棲お試し」を押し付けた。 気に入れば縁組。 気に入らなければ、そこで終わり。 体が入れ替わった経緯は—— 同棲三百五十九日目、また揉めた。
続きを読む第3話
「花、菱、千、早。」 歯を噛みしめた、気の強い女の声が、突然落ちてきた。 食堂の入口に、葛城朔が私の顔をかぶって立っている。 いちばん高いオートクチュールの白シルクのロング。生地が脚に張り、危うい線を描く。 八センチのピンヒール。歩き方が死ぬほど硬い。 急ぎすぎて頬が誘うピンクに染まり、胸が激しく上下している。 本人は気づいていない。 目だけが、刃みたいに冷たい。
続きを読む第4話
正直、その場で燃えかけていた。 あいつの一八七をかぶったまま、二十年目で初めて知った。男の体は極限まで張ると、筋がそこまで硬くなる。 まして今、あいつは私の下腹に跨がったまま、離れない。 「葛城……先に、降りろ。」 口を開いた瞬間、あいつの低い男声が形を失って揺れ、掠れて色っぽすぎる。 葛城は言わない。 鎖骨の窪みに顔を埋めたまま、五秒、完全に固まる。 それから見える。
続きを読む第5話
別荘へ戻る車内は、糸を引きそうなほど粘る。 運転しているのは葛城だ。 私の体はマニュアルのスーパーカーを扱えない。一六五の小さな体で運転席に沈み、白い手がハンドルを死ぬほど握っている。 私は一八七の長脚を助手席に畳むしかない。 横を見れば、あいつがいる。 長髪が肩に散り、頭頂に潰れた赤いバラが一片、残っている。 私の顔の上だと、言いようのない、いじめられたあとの壊れ方をしている。
続きを読む第6話
土曜の午後。 郊外の私営馬場。蹄の音が、規則正しく響く。 逢沢透は今日、特注の英国風乗馬服だ。身丈がよく、温順な白馬を引き、根気よく葛城——つまり一六五の私の肉をかぶった「花菱千早」——に上り方を教えている。 私はサングラスとキャップで、飼料係のふりをして、遠くの干し草の陰に屈んでいる。 逢沢は、以前ためておいた「予備」だ。 財閥の息子、優しく丁寧。父の前では「葛城の代わりになれる」顔をする。
続きを読む第7話
急いで後を追い、車庫の暗い隅で塞いだ。 「葛城、狂ったのか! あれは私の予備だ! 一年、もうすぐ切れる。あんなことしたら、あと誰が私を——」 「娶る? 逢沢と結婚したいのか。」 冷笑し、車体と自分の間へ私を詰める。声が低く、震えている。 「仮面をかぶって嘘ばかりの偽善者に、抱かれて二、三度撫でられたら、優しく丁寧だと? そんなに触らせたいのか。」 「そう!
続きを読む第8話
生姜湯を運び、着替えを手伝った。 葛城はベッドのヘッドに寄り、白い小さな両手で湯飲みを捧げるように持ち、一口ずつ啜っている。 睫毛を伏せ、視線はずっと私の影に張りついている。 動けば、顔を上げる。 湿った目は、また捨てられるのを怖がる野良猫だ。 鎮痛剤を渡す。「薬、飲め。」 素直に飲む。眉一つ動かさない。 湯飲みを置こうと立ち上がった瞬間、手首を掴まれた。 力はない。
続きを読む第9話
葛城の、これまで理解不能だった挙動に、やっと筋が通る。 スカートが短いのを嫌った——他人に見せたくなかった。 逢沢を追い出した——他人を近づけたくなかった。 代わりに痛み、寒がりで生ものや冷たいものがダメなことまで覚えていた—— 好きだった。 葛城朔は、私を好きだった。 では、私はあいつが好きなのか。 二十年いがみ合い、会えば足を引っかけた。 だが、よく思い出す。
続きを読む第10話
朝早く。 起こしたのは、見覚えのある軽さだった。 寝返りを打つ。 シルクのパジャマ。胸が、重い。 そう。 戻った。 安堵する暇もなく、隣の主寝室から低い唸りがする。 靴も履かず、裸足で走り、扉を押した。 葛城がベッドの縁に座っている。 黒いシャツ、ボタンは全部開いている。 一八七の長身。腹筋の線が、人を殺す。 寝起きのホルモンだけだ。 瞼を上げて、私を見る。 目が深い。
続きを読む第11話
一時間後、花菱グループ最上階の会議室。 空気が、雨を呼ぶほど重い。 父が主座で黒い顔をしている。 逢沢透は病衣のまま座り、顔色を土気色にして、被害者を演じ切っている。 「千早、勝手すぎる。」 父が卓を叩き、通牒を落とす。 「逢沢さんには、お前のせいで大きな恥をかかせた。朔との一年で情が育たなかった以上、この縁談は破棄だ。決めた。西エリア再開発の社印と決裁権は、今日、逢沢家へ正式に移す。
続きを読む第12話
同棲三百六十五日目。 別荘の主寝室に、トランクはもう閉まっている。 ベッドの縁に座り、ゆっくりネクタイを解いている葛城を見る。 「社長、逢沢家は完全に盤外だ。」眉を一つ上げる。「今日で一年、満了。約束どおり、情は育ってない。縁組は破棄。私から強要はしない。」 ネクタイを解く手が、止まる。 次の瞬間、その一本を引き千切り、長脚で迫り、両手を枕元へついて、ベッドと胸の間へ私を閉じ込めた。
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