第1話 / 全10話

第1話

辞めた日、私は元会社を呪うシステムを手に入れた。

「元社長に痛風を発症させる」:500ポイント。 「パワハラ上司を衆人環視で失禁させる」:2000ポイント。 「全社を集団食中毒にする」:10000ポイント。

ウイルスソフトだと思い、いちばん安いのを試しに押した。

三秒後、元社長がタイムラインに動画を上げた。足の指が豚足みたいに腫れ、悲鳴がフロア中に響いている。

画面を見て、私はゆっくり笑った。

それから、「会社倒産」の値札がついた項目を開いた。

辞めた日、携帯にアプリが一つ増えていた。

灰白色の笑顔アイコン。口角が耳まで裂けている。名前は「怨嗟清算システム」。

退職手続きの悪ふざけだと思い、気にも留めず、適当に開いた。

画面に出た。

「宿主の苦痛残高を検出:1,847,632ポイント。」 「交換リストを表示しますか?」

1,847,632。一の位まで正確だ。

正確すぎて、頭の中に過去三年が瞬間再生される。積み増した残業の一分一分、被せられた黒鍋の一口一口、浴びた罵声の一句一句。

「表示」を押した。

リストは闇市の価格表みたいだった。

「指定対象に偏頭痛を発症させる」——100ポイント 「指定対象に痛風の急性発作」——500ポイント 「指定対象を衆人環視で失禁(社会的死級)」——2000ポイント 「指定部署を全員食中毒(入院級)」——5000ポイント 「全社を集団下痢(忘年会スペシャル)」——10000ポイント ……

一番下の行は灰色で、ほとんど読めない。だが一目で釘付けになった。

「【大成テック】法人を刑事立件させる」——2,000,000ポイント 「【大成テック】を正式に破産宣告させる」——5,000,000ポイント

灰色の二行を見つめ、心拍が半拍速くなった。

大成テック。前の勤め先。社長は黒田徳治。

二ヶ月前、私は「ボーナス放棄の同意書」へのサインを拒み、奴に衆人環視で三十分罵られた。「やりたくないなら失せろ。外には列をなして待ってる奴がいる。」

わかった、と言った。翌日、退職届を出した。

奴は見もせずシュレッダーに放り込み、「給料は月末。二度とうるさく来るな。」

私は「痛風発作」——500ポイントを見た。端数にもならない。

三秒迷って、親指を押しつけた。

「交換を確認しますか?」 「確認。」

画面が点滅し、緑のチェックが跳ねた。「交換成功。怨嗟ポイント500減少。残高1,847,132。」

それから何も起きない。部屋は静かで、窓の外の日がいつものようにアパートの床を照らしている。

「やっぱり嘘か」と呟き、携帯をベッドに放り、台所でカップ麺を茹でた。

麺を入れた瞬間、携帯が震えた。

元同僚の岡本から、LINEの音声だ。

背景に、鋭い悲鳴。

岡本の声は低く、笑いを噛み殺している。

「おい、黒田のタイムライン見ろ。会議の途中で足が腫れだして、豚足みたいになって、いま救急が来た。会議室の床で足を抱えて転がって、こんな痛いの生まれて初めてだって——はははは」

麺のフォークが鍋に落ちた。

タイムラインを開く。

黒田徳治はお気に入りの暗い赤のポロシャツを着て会議卓の下に崩れ、左足の親指が赤紫の球に腫れ、悲鳴がフロア中に聞こえている。

コメント欄は爆発していた。取引先と同業が「黒田さん大丈夫ですか」と聞く。表立って笑う奴はいない。だが「お大事に」の後ろには、口を覆う笑いのスタンプが必ずついていた。

タイムラインを閉じ、アプリに戻る。

新しい通知が増えていた。

「初回交換フィードバック:対象の疼痛等級9.8/10、持続6〜8時間。満足度をタップ——満足/非常に満足。」

押さなかった。

灰白の笑顔アイコンを見ているだけだ。こちらに瞬きしているみたいだった。

それからゆっくり椅子に座り直し、卓のカップ麺を一口すする。

熱い。

だが三年で、いちばんうまかった一口だ。

交換リストを開き直し、「偏頭痛」を開いて、元上司の高木健一を選んだ——200ポイント一回。五連続で押した。

翌朝、岡本が音声をくれた。「おい知ってるか? 高木部長、昨夜一睡もしてねえ。痛くて壁に頭を打ちつけて、今日休みだ。班が全部狂ってる。どこの幽霊が呪ってんだ、ははは!」

「ははは」と返してアプリを開く。残高はまだ1,846,132。

「衆人環視の失禁」の欄を開く。2000ポイント。

元同僚・黒田佳恵の名前を見つめる。社長の親戚で、班ごとにつま先を踏ませる係だ。オフィス中の前で私を「実力がないなら失せろ」と罵った女。

半秒迷って、押した。

当日午後三時、黒田佳恵は部署の定例を進行していた。スライド二枚目で、顔色が真っ白になり、固まった。

それから会議室の全員が聞いた。小さくて、無視できない「ぷっ——」と、それに続く臭い。

佳恵の顔は白から赤、赤から紫へ変わった。スカートを押さえて飛び出し、それきり戻ってこなかった。

岡本がまた来た。「くそ、今日の会社どうなってんだ。高木が壁打ち、佳恵が……幽霊か?」

黙って数文字打つ。

「風水が悪いんじゃねえの。」

話を少し脚色し、匿名で掲示板の「ブラック企業」スレに投げた。タイトルはこうだ。

『辞めたら元会社の人間を呪えるようになった気がする(ネタです真に受けないで)』

本文は二件だけ。社長の痛風、上司の壁打ち。抑えめに、自嘲を少し。結びは一句。

「明日、元会社が潰れたら、お礼参りに戻ってくる。」

三時間後、スレは爆発した。

レスは二千を超え、全部「続き待て」「スレ主、気持ちいい」「元会社倒産祈願」「責任転嫁してきた上司も呪ってくれ」。

DMが炸裂した。

本物かと聞く奴、金を出すから「代行で呪ってくれ」と言う奴、元会社の名前と社長の写真を直送してくる奴。

一条も返さなかった。

だがアプリを開くと、残高はスレを立てているあいだに三千ポイント以上増えていた。

「苦痛吸収」モードが動いている。

話に触れた人間たちの、職場の怨嗟が、私のポイントになっていく。

背もたれに凭れ、携帯を胸に置く。画面は灰白の笑顔を灯している。

黒田徳治。高木健一。黒田佳恵。

部署ごとでいい。急がない。